聖心女子大学名誉教授
児童文学
猪熊 葉子
INOKUMA YOKO
聖心女子大学名誉教授
児童文学
猪熊 葉子
INOKUMA YOKO
人間は,太古の昔から,昔話や神 話,伝説などの物語を所有してきま した。文字のない時代,これらの物 語はもっぱら口伝えで継承されてきました。なぜ人間が昔から物語を語 り継いできたのかといえば,それは,人がつねに物語をとおして世界を理解してきたからでした。実際, 伝承文学には人間性を理解するために必要なものがたくさんつまってい ます。たとえばナルキッソスの神話は,人びとが昔から自己陶酔という感情を知っていたことを示していま す。
文学は,つくりごとを語っているにすぎないという人もいるかもしれません。しかし,文学は,その虚構性でもって,目には見えないさまざまな人間性を映すレンズの役割をはたしているのです。文学という虚構の世界の力を借りなければ,人は人生を把握することはできません。
子どもたちも物語を読むことで大きな成長をとげます。私自身,子ども時代に物語によって生かされたという経験をしました。私はかなり大柄な子どもでした。「 怪獣 」 とあだ名をつけられ,子ども心に深く傷ついていました。
そんなある日,私は,カレル・チ ャペックの『長い長いお医者さんの話』という本に出会いました。そのなかに,七つの頭をもつ怪獣を飼うはめになった青年の物語がありました。怪獣のせいで,青年はさんざんやっかいな目にあうのですが,決して怪獣を見捨てようとはしませんで した。この物語に小さかった私がどんなに救われたことでしょう。怪獣に親切にしてくれる人がいるということが,あの頃の自分にとって大きな慰めになったのでした。
現実離れした魔法の物語,現実のきびしさを描いた物語=児童文学にはさまざまな作品があります。どういう内容であれ,最終的に「人生は生きるに値する」ということを訴え るのが,児童文学本来のあり方だと私は考えます。人生を称え,肯定する,それが子どものための物語のすばらしさだと思うのです。